真面目な人vs要領がいい人

主任調査員 天瀬光二

前回の大谷研究員のコラムのテーマが面白かったので、引き続き同じテーマで書かせていただきたいと思う。つまり真面目が良いのか要領よしが良いのかというテーマである。これももちろんただの雑感の類であるのでその旨予めご了解いただきたい。

つい最近、衆院予算委員会に閣僚が遅れたというニュースがあったが、翌日の読売新聞「編集手帳」が遅刻に関連して内田百閒の随筆『阿房列車』を引いていた。曰く、「発車時刻まで余裕をもって駅に行く人と、ぎりぎりを狙って遅刻する人を比べると、乗り遅れる側に利口な人が多い」と。つまり、利口な人は時間を極力有効に使おうとするからという説であるが、遅刻する方が利口だなんてなんだか合点がいかない。

私が通う職場では出退勤管理システムが採用されており、定刻を1分過ぎても遅刻として扱われてしまう。機械なので容赦はない。いきおい定刻近くになると皆走る。自分はというと、朝は早起きの性質なので早い方だが、たまに定刻近くに出勤するとこの光景に遭遇する。面白いのは、走っているのはだいたい同じ顔ぶれであることだ。これらの人達はたまたま遅いのではない。毎日ぎりぎりを狙って出勤しているのだ。ひょっとするとジョギング効果と一石二鳥を狙っているのかしらと思うが、ちらと横顔を窺う限りではそんな余裕はなさそうである。しかしぎりぎりを狙ってアウトになれば遅刻であるが、セーフになるのであれば何ら責められる所以はない。内田百閒の洞察に従えば、彼らこそ時間を有効利用する利口な人達ということになる。

「仕事場へは30分は早く着き、机をきれいに拭き清め心安らかに始業を待つ」ことが美徳などという根拠ない教えを盲信してきた私にとって、こういう価値観を突きつけられると面喰ってしまう。でもワーク・ライフ・バランスとは多分こういうことなのであろう。つまり多様化しているそれぞれのライフスタイルをお互いに認めようよということ。今隣りを走っている彼はぎりぎりまで老親の介護をし、その前を行く彼女は娘を保育園に送ってきた直後なのかもしれない。よく考えてみると、自分が他人の私生活について知っていることなどほとんど無いに等しい。いずれも彼ら(彼女ら)にとってはとても大切な朝の時間を要領よく使っているのだ。もちろん決められた会議などの時間に遅れるのは論外だが、皆の合意の上での労働時間の変形はもっと大胆に進められていいと思う。ドイツで導入が進んでいる「労働時間口座(Arbeitszeitkonto)」などは新しい労働時間モデルのヒントを与えてくれるのではないか。

結局、真面目な人と要領がいい人の優劣はまたしてもつかない。でも真面目な人も要領がいい人も両方いる(ことのできる)社会が健全なのかもしれないと思いつつ、自分の傍らを追い越していく駆け足の同僚を優しく見送る。

注)労働時間口座についてご興味のある方は、当機構ホームページ「海外労働情報」にあるハルトムート・ザイフェルト氏(JILPT招聘研究員)の雇用と労働時間に関する論文をぜひお読みください。

(2010年 3月19日掲載)