「自称ケインジアン」の書きたい放題

研究所長/主席統括研究員 浅尾 裕

昨年、京都大学の間宮先生の訳になるケインズの「一般理論」が岩波文庫から出版されて、この「古典」へのアプローチが格段に容易になった。「日本語」になるまでに70年以上がかかったといってもよいであろう。「著作権」というものが、文化の進展を促進する面ばかりとはいえない証左でもある。

私もかつて翻訳書を買ったものの、数ページ読んで自分の日本語能力のなさを恥じつつ、放り出したものである。それで一念発起して、大阪梅田の紀伊国屋で原書(普及版)を買って読んだ。裏表紙内にしたためた記録をみると、1972年(昭和47年)10月16日に購入したとある。大学1年の秋である。お陰で、原書で最初から最後まで読み通した数少ない文献の一つとなっている。

あれ以来私は、「自称ケインジアン」となった。その「自称ケインジアン」として、あれこれ書きたい放題を書いてみたい。ただし、紙幅の関係から、論理の展開のない、論点の箇条書きのようなものになっている。

今回の「危機」で「金融資本主義」から脱却できるか

最近のはやり言葉でいえば、金融にも「よい金融」と「悪い金融」とがある。金融の社会的機能とは、どうなるかわからない「未来」に対するリスクを負担することである。リスクを負担して、産業活動に必要な資金を提供するところにある。しかるに、「金融資本主義」の金融は、リスクを負担せずに、リスクを避けることばかりに注力する「悪い金融」になってしまう。その最大のものが、私利追求の結果処理を国家に負わせることである。しかし、「金融」には「よい金融」として経済社会になくてはならない機能があるので、国家は引き受けざるをえない。「過去」は仕方がない。大切なのは、金融が「悪い金融」に陥らないようにするための将来に向けた適切な仕組みを作り上げることである。(以前に戻ることかも知れないが・・・。)

金融がリスクを負担しないと、そのリスクは廻りまわって働く人々の負担となってしまう。それでは資本主義経済はうまく機能しないのである。

「企業の価値」を決めるもの

よく「市場に聴け」といわれる。そこでの「市場」とは「証券市場」(=証券・貨幣市場)を指していることが多い。でも、市場には「財・サービス市場」もあれば「労働市場」もある。「自称ケインジアン」は、市場を少なくとも3つの異なる論理・機能をもった市場に分けて考える。それぞれ重要であるが、「財・サービス市場」が経済の基本であるとみる。聴くなら、「財・サービス市場」に聴くことが第一である。株価の時価総額=企業の価値などという発想は、「金融資本主義」の発想でしかない。ついでにいえば、「時価会計」とか「包括利益」といった発想も、「金融資本主義」の発想であると思われる。

全部が全部そうなるべきだとはいわないが、ある程度経営が安定した企業は、株式の上場を辞めにしてはどうだろうか。不足する必要資金は、銀行借り入れはもとより、保証金利に実現利益があった場合の分配分を加えた社債発行で賄うようにするなどの工夫があると思われる。そうして、「悪い金融」の影響を排除して、自社の経済活動に伴うリスクを真に分担してくれる「金融」とのみつきあうことができるのではないだろうか。

ミクロ分析のマクロ的基礎

よく「○○軍の優勝による経済効果は○○○億円」とか、「○○の番組は○○○億円の経済効果がある」とか言われる。しかしながら、内実をみると、日用品の安売りであったり、行くはずであった旅行の目的地が関係の地域に替わっただけであったりする場合が少なくない。その「経済効果」は、あくまでミクロ分析の話であって、マクロ的には一方で減少する分があるので、その「経済効果」は宣伝される額の何十分の一、場合によっては負の効果である場合さえあり得る。特定の企業や地域にとって「効果」であるかも知れないが、国の「政策」としては割り引いてみなければならない。

雇用や労働面の研究においては、ミクロ分析が大きな役割を果たすことはいうまでもないが、こと「政策研究」であれば、ミクロ分析の結果を再度マクロ的視点から適切に考えるという過程を経ることが不可欠であろう。

なお、最近「エコ・カー減税/補助金」等の政策について、「需要の先喰い」との批判がなされることがある。しかし、この問題については、リーマン・ショックに伴い通常以上に落ち込んだ欧米における需要を内需で補っていること、エコ社会への構造変化を先取りしている面があることなど、政策効果は大きいと考えるべきであろう。ミクロをミクロで上塗りするのではなく、ミクロ分析について適切なマクロ的基礎を構想できることが必要である。

ケインズ政策プラス労働・雇用政策

ケインズは偉大であるが、1883年に生まれ1946年に逝去された一人の人間である。当時、失業保険すら不完全であるなど労働・雇用政策が本格的に整備されていない時代を生きた人である。したがって、失業に対処するための短期的対策としても、雇用需要そのものを創出すること以外に考えることはできなかったといえるのではないだろうか。

現在は、それほど長くない業況不振については休業などにより雇用を維持すること、失業した場合においても一定の所得を補償しながら能力開発(能力維持のための短期の就業機会の提供を含む。)などを行うこと、などといった労働・雇用政策が整備されている。こうした労働・雇用政策といわゆるケインズ政策との適切なポリシー・ミックスが重要であるといえる。この点に関して、好景気の時期に得られた粗利(付加価値)の中から、景気後退期における雇用維持を目的とした休業に備えるための準備金(例えば雇用調整助成金の助成率と1との差をベースに最大、半年分の賃金総額の6割×3分の1=2割程度まで)を偶発債務として積んでおけるような仕組みが考えられてよい。

短期的な対策としては、来春卒業の新規学卒者の就職促進に関して、思い切った施策が必要であろう。

なお、ケインズ政策といえば公共事業を指すと考えている向きもあるようであるが、それは一面的な理解であって、より長期の政策として「投資の社会化」という構想があったことなど、間宮先生訳の「一般理論」が広く読まれることを期待したい。

(2009年12月25日掲載)